沈まぬ太陽

時々の社会問題に鋭いメスを入れた著作を世に問うてきた、社会派作家の山崎豊子さん(故人)の作品に「沈まぬ太陽」がある。

フラグキャリヤーの労組委員長を、経営側が「気にくわない」としてカラチ、テヘラン、そしてナイロビと足掛け8年にわたり島流しにする話だが、同じようなことは、民間企業の職場では日常茶飯事であった。

小生が憲法の存在を強く意識するようになったのは、まさにこれと同じような扱いを受けたからであって、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という19条の規定は、激しい差別と嫌がらせを受ける身にとって、言わば「沈まぬ太陽」のごとくひかり輝く存在であった。

若い頃、職を得た大企業でそれこそ身を粉にして働いていたわけだが、そこには、臨時工という、今でいう非正規で働く人々がたくさん居た。彼らは、本社採用の本工とは異なり地元の事業所の採用で、仕事は主に現場の力仕事。給料は、日給・月給である。

そして、有給休暇の日数も少なかったから、仮に病気などで職場を休めばその日の賃金は支払われない。つまり、給料がそれだけ減るわけだから、おちおち病気で休むわけにもいかなかった。

こうした身分による職場支配は、結果として労働者間の対立を生み、賃上げや職場環境の改善等の経営側に対する要求のとりまとめにも齟齬をきたす要因となっていた。

そこで、自覚的労働者の間で、臨時工制度反対!が叫ばれるようになるのだが、このような「支配のしくみ」に直接触れるような要求は、経営側にとっては許しがたく、これと見定めた自覚的労働者に対しては、徹底した弾圧政策がとられた。

職場でのいじめは勿論、両親や家族に対する退職勧告、行動の監視や寮での私生活の調査等々、目を覆いたくなるような非人道的な行為が日夜繰り返えされたのである。

挙句の果て、経営側は、昇給・昇格差別、仕事の取り上げ、関係のない職掌への配置転換に加え、海外勤務の発令等々、徹底した見せしめと抑圧を実行したのだが、結局、世の中の趨勢もあり、臨時工制度は瓦解した。

昨今、ブラックバイトとかブラック企業における非人間的労働が大きな社会問題となっているが、これは今始まったことではなく上記に見るように、いろいろなかたちをとった労働者支配だから、どんな小さな問題でも職場に憲法を取り戻すたたかいとして忍耐強くたたかう必要がある。

最近、日本IBMの労働者が勝ち取った「ロックアウト解雇は無効」という東京地裁の判決は、画期的成果である。(K.O)